■山王日枝神社
山王日枝神社の創建はあきらかではありませんが、出羽国田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市)ができる前よりと伝えられています。1622年(元和8年)酒井家が荘内藩に入部してから、上山王社・春日神社とともに産土神社として奉祀されました。古くから「山王様」 「お山王はん」として親しまれ、今にいたっています。
長山邸跡にある「初なすび」の句碑は、鶴岡に四基あるといわれます。その一つが神社境内 弁天島(通称 お山王はんの池)のほとりにあるもので、天保年間に建立されたとのことです。かたわらにある大ケヤキは樹齢300年、鶴岡市の天然記念物にも指定されており、夏ともなると、アブラゼミの幼虫が地面から出てきて、幹を登って羽化する様がみられます。
■桜咲く季節に・・・
御衣黄(ぎょいこう)
日枝神社の境内には、数種類の桜の樹があります。一番目につくのは、参道両側にある八重桜でしょうか。その八重桜があでやかに咲き誇る頃、ちょっと変わった桜の花が咲きはじめます。
【
御衣黄
】という黄緑色の八重咲きの桜です。花の色が葉っぱと似ているためちょっとわかりにくいのですが・・・・・。これは、花弁の中に葉緑体があるからとの事。古くから知られている桜の品種だそうです。めだたないため、神社を訪れてもこの桜を知らない人も多いのではないでしょうか。ソメイヨシノばかりが桜じゃない!! 知ってるあなたは<桜ツウ>かも! 毎年、ひそやかに咲いています。
今年も今が見頃を迎え、連休中に、ちょうど満開になりそうです。散歩がてら、ひと足遅れのお花見においでください。
■お山王はん歴史館
今年から、社殿内に神社に伝わる縁の品々を展示しています。例えば、1611年(慶弔16年)最上義光が奉納した鰐口と鉄鉢や和算家 阿部重道の門人が奉納した算額は、鶴岡市の指定文化財にもなっています。また、1704年(宝永元年)の祭礼からは、神輿渡りが始まりました。城から金瓢槍・鉄砲・鎧具足などが貸し出され、氏子の町人が身にまとって行われました。時の城主は、大手門から行列を見物したといわれます。その当時の祭典行列を写したといわれる絵巻物の写しも展示されています。
開館時間は午前9時30分から午後4時まで。
入館料は無料ですが、事前に予約してください。(0235−23−3202)
■芭蕉ゆかりの地
最上川を舟で下った芭蕉はまず羽黒に向かい、出羽三山を巡った後に鶴が岡城下に入り、武士 長山重行に迎えられました。「長山邸」は現在はありませんが、その跡には元禄2年6月10日(1689年、新暦では7月26日)に詠んだ句
めずらしや 山をいで羽の 初茄子
の句碑が建っています。
芭蕉はその2日後、内川にかかる大泉橋のたもとから、川舟に乗って酒田へと下って行きました。
■山王町の小路
ばら小路
山王町のコンノ生花店と中央郵便局にはさまれた細い通り道は、かつて【ばら小路】と呼ばれていました。「ばら」は薔薇の字をあてていたそうです。郵便局の所に「ばら屋」という洋灯・洋品・雑貨などを商う店があったことに由来しているらしいのですが・・・・・明治になってからの名前とはいうものの、いかにも、ハイカラな明治という時代に似つかわしい命名です。
元禄時代の城下絵図では、蓮池小路と交差して閉じていたようですが、いつの頃からか旧高町の方に通り抜けられるようになり、現在にいたっています。
■山王町の小路
六軒小路
山王日枝神社の池を左手にみて、鶴岡駅に向かって進むと、左側にカドヤ菓子店があります。そこを左に曲がった小道、それが六軒小路です。般若寺と鶴文堂まで西にまっすぐのびています。
最初、家中屋敷が、六軒あったことに由来しているようですが・・・・・・。山王小路と呼ばれていたという説もあり、定かではありません。鶴岡の旧市内には,他に十三軒町、七軒町、二百人町などがありますが、それぞれ、家中屋敷が十三軒あったり、七軒あったり、二百人の足軽が住んでいたりしたことに由来しているようです。
般若寺は、直木賞作家 藤沢周平著『用心棒 日月抄』の舞台ともなった場所です。映画「たそがれ清兵衛」の中では、清兵衛が決闘する河原が<般若寺の裏>という設定でした。虚構の世界ではあるものの、現実の世界に置き換えるならば、さて、現在では、どの辺りになりますことやら・・・・・。江戸時代にタイムスリップしてしまうような、城下町らしい小路の名前です。
■山王町の小路
蓮池小路
山王日枝神社境内の横に、末社 八幡宮の赤い鳥居があります。そこから真島邸の塀沿いに郵便局の方に南に伸びる通路が【蓮池小路】です。元禄9年の城下絵図に、神社の境内に隣接した広大な敷地に〈蓮池伊予守〉と記されていたそうですが、そこからの由来でしょうか。
元禄時代といえば、五代将軍綱吉の治世。生類憐みの令がだされていた頃になります。 元禄11年には柳沢吉保が老中筆頭となり、15年には赤穂浪士の仇討ちがありました。歴史の流れを感じさせる小路です。
春には、ウグイスの鳴き声が響き、秋になると境内のイチョウが落葉して、一面黄色の世界になります。あたりに大木が多いこともあって、さまざまな野鳥も訪れます。時おり、闇を裂くようなふくろうの声も。大通りからちょっと離れただけで、日中もひっそりとしたたたずまいの歴史と静寂の小路です。
■山王町の小路
長山小路
山王町東、旧町名 与力町から現在の昭和通りに抜ける小路をさしています。大昌寺の脇に位置するため、大昌寺小路とも言われているとか・・・。ここには、その昔、長山右衛門重行の屋敷がありました。長山重行は江戸勤番中、松尾芭蕉に師事し、庄内俳壇の中心的役割を担った人物です。
芭蕉は『奥の細道』の旅の途中に、長山邸に宿泊し、「めずらしや 山をいで羽の 初茄子」の句を詠みました。
■山王町の小路
薬湯小路
山王日枝神社の大鳥居をへだてた向かい側に、少し下り坂になっている小道があります。昔、ここに薬湯(銭湯)があったことに由来しています。
江戸時代の寛政年間、藤十郎という人物が売りに出ている茶屋株を買い、銭湯と旗亭(飲み屋)を始めたのがはじまりと伝えられています。寛政といえば、あの松平定信の<寛政の改革>の時代。きびしく、質素・倹約を命じられた町人たちにとって、憩いの場となったらしく、繁盛したとのことです。
薬湯小路のあった場所は、現在、日本生命と魚屋の間の道路(駅からまっすぐの道、鳥居町の方へ)という説もあるようですが、さて、どちらが本当か、定かではありません。
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